・「プログラミング的思考」が必要とされる理由

前前回のブログので
「プログラミング的思考」の具体例として料理で例えました

前回のブログでは
1.目的の設定
2.分解・順位決め・構築
3.行動・指示
4.確認・調整
5.反省・改善
という思考が「プログラミング的思考」と呼ばれるのかを考えました

今回は
「プログラミング的思考」の具体例(料理ver)
「プログラミング的思考」と呼ばれる理由
・「プログラミング的思考」が必要とされる理由
の3番目
・「プログラミング的思考」が必要とされる理由について考えます

・「プログラミング的思考」が必要とされる理由

これは色々あると思いますが、私の結論は「生きるため」です
縄文時代でも、安土桃山時代でも、昭和でも令和で
「生きるため」に考えて、その時代を生きてるはずです

縄文人も、狩や漁だって、どうすれば取れるのか考えたでしょう
織田信長も考えたでしょう、昭和の会社員も考えたでしょう
平成が終わりこれから訪れる令和も、スタートからコロナでもはや先が読めませんが、今までの生活・働き方・社会・学校のシステムが変わり始めています
今までの当たり前が当たり前ではなくなってきています
分からない未来を生き抜くためには考えるしかありません
今も昔も変わらずみんな考えて生きてきました

有名の言葉で
「今の小学生の65%が今存在しない職業をする」とありますが、冷静に考えれば当たり前です
パーセントは違いますが、昭和の小学生の私にも当てはまります
ウェブもない、スマホもない、DVDもない、アマゾンもグーグルもない
今では当たり前の、ユーチューバーもウーバーイーツも数年で一般化してきました
今後さらに便利になりAI化が進むと、人間の労力はいらなくなっていくでしょう
今ある産業・仕事がなくなるでしょう
その為にはAIを作る特別なプログラミングのようなスキルがあればいいですが、みんながそうなる訳でもないし、まだ見ぬグーグルをみんなが作れるわけでもありません
ロボットにできない、人間でしかできない力が必要になります
それが「思考」であり、「生きる力=知恵」だと思います
それとは別に今まで当たり前だった「古い普遍的なモノ」に価値が生まれてきてると感じます
富裕層が書いたり、趣味をしたり、キャンプをするのはきっと意味があると思います

プログラミングを学んだからといって、みんながプログラマーになる訳ではありませんが、今後必要とされる「スキル」と「思考」が身に付きやすいと思います
しかし、「思考」という上で大事な事は「好きな事を一生懸命する」で十分です
スポーツでも、楽器でも、料理でも、プログラミングでも「好きな事を一生懸命する」だけでうまくなるし、将来の力になります

「思考」を手段であって「目的」ではないと考えるならば、未来を生きるための1つの手段にすぎません
「思考」をどう使って、どう生きるかが大事なのではないか?と今、私の回答とします

まとめ
「プログラミング的思考」が必要とされる理由は?
→「未来を生きるため」だが「プログラミング的思考」は手段の一つなので、「思考」をどう使って、どう生きるかが大事